●連載No0013【広州にゅあんす(6)】ペンネーム:
春一番が吹いた。という知らせは日本からのテレビや香港で印刷する国際版の日本の新聞による。1904年堀 辰雄は生れた。ことしで丁度生誕100年を迎える。昭和の知性と叙情を表現する彼は芥川竜之介や室生 犀星に師事した。長野県のサナトリウムで最愛の彼女と過した時の作品「風立ちぬ」は純愛そのものであった。
春一番は春嵐とは若干違う。戦後政治の中期に時の保守党政党のあり方に反旗をひるがえし、20名前後が春嵐会という党中党をつくった。雲散霧消したが、今でもそのリーダーの元首相が現存している。
風を起すということは何を意味するのだろうか。秋から冬にかけて木枯しという風を表現することばもあるし、「春の嵐」というヘルマンヘッセの小説も残っている。
「風立ちぬ」は心象時に暗い場所からやがて新しい世界をもとめる飛翔の風だったのかもしれない。
風は新しい何かを生む。広州も3月を迎えた。農暦中心の、ある時期の中国人の生活の中に風はやさしくも厳しくも共存しているのだろう。
広州にはやがて春の風が吹きまくるであろう。
●連載No0012【広州にゅあんす(7)】ペンネーム:
初めて広州を訪れる日本人が異口同音に言うことばは「車が多いですね。」「活気がありますね。」などという言葉である。「活気がありますね。」は日本は元気がないといわれる昨今、学ばなければならないが、車の方は困る場合が多い。
車を買う中国人(広州人)が増えてきたことはそれだけ生活が豊かになってきた証左だが、貧富の差もあり、一概によかったね、とは言えない。
最近市中を走るタクシーの車体色が赤の他に黄色も登場、一部緑色もあって、シグナル信号勢揃いということになる。赤、緑(青)、黄が街をつらねて走行すれば、歩く人たちは注意して歩くことになるのか。いえそれよりも運転手(士)が無法な運転をやめてくれる方がとても助かる。
広州は最近、きれいな町並みになったよと良く聞くが、騒音も必要悪とあきらめないで、市民が関心を持ち、静かな生活を獲得してもらいたいものだ。
●連載No0011【広州にゅあんす(6)】ペンネーム:しげる
近頃広州界隈で変わってきたことと言えば、気温が下がり、秋の気配に包まれ始めてきたことだろう。四季に慣れているわれわれにとっては春夏秋冬は長さの違いはあれ、季節感を少しでも感じることができる。そういえば去年の今ごろから新型肺炎の情報や現実に悩まされ中国の経済や観光事業に少なからぬ影響を与えた。日本にもその余波は遠慮なく届いたようだ。
寒くなるとまたサーズか。大丈夫かな。そろそろ心配症の連中は内心おだやかではない。しかし防御や準備に怠りがあってはいけないのは当然だろう。
過ぎたるは及ばざるが如し。などと君子ぶるよりも地球規模で医療体制の確立を急ぐべきだと思う。
●連載No0010【広州にゅあんす(5)】
兎に角暑い。昔から「言うまいと思えど今日の暑さかな」である。
この間あまり愉快ではない体験をした。日本料理店での話。
日本人と一緒にきていた(どうも通訳らしい)中国人女性が暑さでかっかしたせいでもなかろうが、その店の中国人従業員に対して、「私たちが注文した料理が20分以上も経ったのに、まだこないじゃないの。失礼だわ。」店員「どうもすみません。もう少しお待ち下さい。」女性「いえ、もう待てません。帰ります。」上手な日本語で遣り取りし、店を出た。
店員はぼやく「何だあの女性は秘書きどりで威張っている。前に出た料理の代金位払ったらどうなんだ」と。
日本では「虎の威を借る狐」という俚言があるが、この女性の心理状態はどうだったのだろうか。
また上司であろう日本人はひとことも発言せずに帰ってしまった態度は何だったのだろうか。暑気払いにもならない話である。
●連載No009【広州にゅあんす(4)】ペンネーム:しげる
サーズ(重症急性呼吸器症候群)という非典型肺炎が広州を跨ぐような格好で香港から北京へ急展開した印象を受ける。イラク戦争の方はまあ処理案はいくつも残っているが、「おわった」というのが大方の認識だろう。ところが目に見えないサーズの方はうがいやマスクにも拘らず感染者は増えている。
初動調査ならぬ初期の発表でどうも納得のいかない点があり、責任者が2人解任された。
日本では、「トカゲの尻尾切り」という言葉があるが、本当に責任があるのは誰なのだろう。
日本と中国との対応の仕方が違うのはやむを得ないが、広州情報が多くの人の力で真実に近いものであってほしい。命の問題なのだから。
●連載No008【広州にゅあんす(3)】ペンネーム:しげる
広州に住んで今年は11年目になる。日本人としてはまあ永い部類に入るだろうか。
日本の便りを見たり聞いたりすると、寒さはこの10年来最高だそうで、特に三が日は日本海側を中心に大雪に見舞われたらしい。雪国のトンネル近くで20数台の車輌が雪崩れに遭い。一時生埋めになった人もいる。全員救出されたが怪我人も出た。
予知できないものなのか。表面雪崩れの場合、いつ雪が降ったのか。どの位の量だったか。積雪と新雪の断層面の科学的分析が極めて大切らしい。
われわれが住む広州近辺はいくら寒いといっても最低気温4〜5度で降雪に出合った経験はない。そして雪は日本も中国も瑞兆ということで穀物などもその年豊穣だと言われている。
そういえば中国の春節(旧正月)は二月一日である。一月元旦から丁度一ヵ月後というのも、極めて希である。1月28日前後3日間開かれる花市で綺麗な花を観たり買ったりしながら、年2回お正月が楽しめる広州での幸せを今回も満喫したい。
●連載No007【広州にゅあんす(2)】ペンネーム:しげる
師走となると何かとせわしなくなる。専ら精神面でのことを指すのだろう。陰暦での生活だった頃、習字やそろばん塾の先生が溜まった借金の返済のため、お金を融通してもらうべく、あちらこちらを走り回った。また多くの人々が新しい年を迎えるため忙しそうにこまめに動いた。
このようにいつくかの説があるが、まあなんとなく自分で自分を言い含めているようでもある。
忘年会も同列なのかもしれない。一年の間のいやなことを忘れ去るため、わいわいがやがやと酒を呑んだり、料理を食べたり。これなども自己を自分なりに納得させる(実際は無理?)しきたりかもしれない。
広州に住んで10年を超えたが、一年に2回経験する“お正月”。従って忘年会も新年会もやろうと思えば2度つづできる。
そんなことしてたら身も心ももたないと思うようになった。静かにひとりで過すのもよし。仲間とひとときを共有するもよしか。広州にはそんな環境もそなわりつつある。
広州は蚊遣りも売れる十二月(しげる)
●連載No006【広州にゅあんす(1)】ペンネーム:しげる
10月中旬から下旬にかけて、秋がわれわれの住んでいる広州界隈にやってきた。それもゆっくり散歩ではなくジョギング程度の速さである。
9月末から今月初めに日本へ一時帰国した。その時、山々の樹木はまだ紅葉には躇躊いがちな風情であった。日中は短袖が幅を利かせていた。広州に戻ってもまだまだ暑い日が続くんだろうなとそんな思いが頭を過ったりもした。
ところがである。帰って見ると広州には秋が待ち受けていたのだ。時雨もどきの雨にときどきは見舞われたけれども、夜中など温度が下がって、掛け布団を一枚足したりした。朝出掛けるときは長袖か背広という装いにかわっていった。広州は常緑樹が多いが、それでも黄葉んだ木々も散見されてきた。
白雲山の山脈も心なしか緑を茶化した色に変わってきた。日本のような等間隔ではないにしても四季折り折りの季節感が身近に感じられた今年は、わたしにとっても幸せであった。
吾子のため あげしわが手も 秋の風 楸邨
●連載No005【習慣からの思い違い】ペンネーム:阿姐
広州に来る前はずっと日本に住んでいたので、当然日本の習慣が身に染み込んでいた。
その習慣のおかげで、様々な場面で驚いたり恥をかいたり困ったことになってしまった。
例えば、美容院に行っていきなり座ったままシャンプーの液を頭の上からかけられ驚いた。
お世話になった中国人にお風呂に入れる温泉の素を贈ったが、その家には湯船はなかった。
真夏のお葬式に全身黒装束で行き好奇の目で見られ、結婚のお祝いに白いお祝い袋を使い
戸惑いの目で見られ、おまけに宴会で花嫁でもないのにチャイナドレスを着て浮きまくる。
また、仕事上一番困ったことは、日本では言わなくても当たり前に行われることが、ここでは当たり前のように行われなかったことだった。
ある時社名入りのTシャツを作ったが、日本ではTシャツを作ればダンボール箱に入って納品されるのが当たり前であった。でもここではサンタの袋のような大きなズタ袋に入れて納品された。当然中のTシャツもグチャグチャになっていた。納品形態まで確認しなかった私の思い込みによるミスであった。更にTシャツのプリントの色もグチャグチャというオマケもついていたが、それは私のミスではない。(はず)
Tシャツで話を続ければ、中国のTシャツは洗うと縮むものがあるから気をつけろと、と聞いていたので、Tシャツ屋さんに絶対縮まないものを数種サンプルに持ってきてもらい
印刷する前に夜自分で洗ってみた。朝起きて見たらそのTシャツは伸びていた。縮むと思い込んでいた私の甘さだった。
このような話は、広州に赴任してきた数年前には山のようにあったのですが、自分でも経験から学習したことと、また広州でのモノの製造技術や人々の意識が変化しているためか
年々ギャップがなくなってきました。うれしくもありネタがなくなり残念でもあります。
●連載No004【わたしの変化】ペンネーム:ひでいぬ
広州に着任してからの年数を数えると、片手では足りずもう片方の薬指を半分折り曲げるところまで来た。思えば、広州の風景も私が着任した頃とはずいぶんと変わった。
広州の景観も変わったが、私自身もこの数年でずいぶんと変わったと思う。
わかり易いところでいえば、まず言葉が上達した。自分でいうのもナンだが、中国語(普通話)で中国人とコミュニケーションするのは何とか不自由がなくなった。今は6年余りも広州にいたらさぞかし広東語も・・・と問う人に「まあね。」とカッコつけたい一心で勉強に勤しんでいる次第である。
次に体型が変わった。つまり太った。いや、もともとスマートな体型とはいえなかったが、デブに拍車がかかった。なぜか?
さすが「食在広州」と謳われる食の都、広東料理はうま過ぎた。食品会社に勤務する私は手前の食い意地を「市場調査」という崇高な目的にすり替え、とにかくよく食べた。
まずは、真っ赤に茹で上げた新鮮な海老をうま味醤油でいただく「白灼蝦」。ウマい。肉なら豚のリブをニンニクでよ~く風味付けした油でかりっと揚げた「蒜香骨」、塩釜で蒸した丸鶏を手で細かく裂いた「手撕鶏」。ウマい!。野菜は刻みニンニクと油をふんだんに使って炒めた「蒜蓉油麦菜」、さっと茹で上げたレタスをオイスターソースでいただく「蛎油生菜」、う・ま・い。締めは中国サラミと米を醤油味で炊き上げた中国釜飯「ポウ仔飯」、うーまーいー!!
これも大きな変化の一つだが、広東料理を食い散らかしている間に広州で働く妻と出会い所帯を持った。日本で開業医を営む父を持つ妻は、成人病の恐ろしさを並べ立てて私の無節操な食い意地に歯止めをかけるのに目下成功している。・・・体重は10kg減った。
●連載No003【恐るべし! 広東語パワー!!】ペンネーム:許冠傑迷
香港に6年駐在して広州生活2年目、広東人・広東語の世界にドップリつかって気付いたことがある。中国の共通語は、北京官話を基礎とした「普通語」であり、広東語は所詮一方言にすぎないわけであるが、「華人のセンター」たる香港の共通語であること、世界各地の華僑の多くが広東系であることも相俟って、実質的には単なる「方言」を超越した存在となっているということである。何年か前に、ニューヨークとロサンゼルスのチャイナタウンを訪れたことがあるが、そこで話されているのは英語でもなく、北京語でもなく、広東語であった。香港からの移民が多いカナダやオーストラリアの華人コミュニティの共通語も広東語であることは言うまでもない。広東語は、商用の「普通語」なのである。
一方「ご当地」広東省では、電話の応対も広東語が使用されることが一般的であるし、広東語が話せないとマトモな職にはつけないと言われている。TVの広告も(殆どの人間がCATVで香港の番組を見ていることもあって)中国で唯一広東語バージョンが特別に制作されてオンエアされることが多い土地柄である。商売にしても、広東語を話さなければ本当に相手と打ち解けることができないという場面に遭遇する。このような情況は、上海や福建省では見られないことである。広東省中山出身の孫文がもっと長生きしていたら、中国の共通語は広東語になっていたのではないか、という話も妙に説得力があるような気がしてしまう。広東人は、頑固なまでに広東語に誇りを持っているのである。
自分が広州にいるから広東を贔屓目に見ているわけではないが、若しかしたら中国を支えているのは、海外の広東系華僑及び香港人を中心とした広東語コミュニティなのかも知れないと思うことがある。中国の改革・開放政策、香港の返還、WTO加盟により、相対的に香港の地位が低下している中、広東省の重要性はますます高まってきている。上海の驚異的な発展にしても、広東省の上納金を中央の上海閥が上海に集中投下しているからこそ成せる業であり、我々日本人も、その当たりを見極めた上で、広東人との関係強化・交流促進を図るべきではないかと思う。その際に重要なツールとなるのが、広東語であることは言うまでもないだろう。
●連載No002【中国のサービスについて】ペンネーム:ああろん
初めて中国を訪れたのは8年前であったが、その頃は国営デパート、国営レストラン等がまだ多く残っており、「服務」という言葉とは程遠い扱いを受けることもしばしばあった。お釣りを投げてよこす、勤務中にショーウインドーの影でご飯を食べる、商品を見せて欲しいと声を掛けても無視をする、等など仕事のやる気のかけらも感じられないような光景を目にした。また外国人と見ると吹っかけてくるケースも多かった。5年前に初めて広州に来た際も、広州駅前で深セン行き列車の乗り場がわからずウロウロしていると、おじさんが近寄ってきて「深セン行きの列車だったら俺について来い」と言うのでついて行くと、教えてあげた謝礼に10元よこせという。ホテル、飛行機、列車、観光地に至るまで外国人料金が存在した時代だったので、外国人と見られてボラれまいとする癖がこの頃から身についてしまっている。
しかし時代は変わり、現在、外貨兌換券や外国人料金などはなくなり、「外国人だから」という理由で吹っ掛けられることもほとんどなくなった。最近では私が外国人だとわかると親切にしてくれることもある。
また日本だったら当然料金を取られるであろう、無料でやってくれて感心したサービスを最近2度経験した。一つは腕時計のバンドの調節、もう一つはジーンズの裾上げ。どちらも別の店で買ったものなので、当然有料だと思って持ち込んだのに、料金を要求されないので、「別の店で買ったものだけど・・・」とわざわざこちらから切り出すと、店員は笑いながら「無料サービスですから」と言うだけであった。私が感謝の言葉を述べると、本当に嬉しそうな表情をしていた。思わぬ「服務」に戸惑いながらも、南国にしては寒い年の瀬の帰り道が少し暖かくなったように感じた。
●連載No001【隣人は大人物候補?】ペンネーム:フッチー
子供の頃私は間違いなくマザコンであった、と思う。それがいつからか母のことを一人の人間として尊敬するようになっていた。最大の要因はもちろん母の人格にあったのだが、もうひとつ、中国の歴史の面白さを教えてくれたことも大きかったと思う。以来、男たちが大陸を舞台に武勇と智謀をもって渡り合う中国史の世界に、憧憬を抱きつづけてきた。
そして3年前、その中国に赴任。時代が違うのは当然だが、深謀遠慮、大局的見地から発想し行動する大人物がごろごろしているのではないかと期待していた。が、赴任当初その期待は裏切られつづけたように思う。結構立派な会社の重役や「長」のつく役人の方々のあさましいとも映る言動に、心底がっかりさせられていた。
それも今から振り返れば当たり前のことで、中国語もろくに話せず、やって来たばかりの外国人に彼らの真価を見極められるはずもなく、また彼らも簡単に襟元を開くはずもない、いわばこちらの勝手な思い込みによる失望であったわけだ。
やがて慣れるにつれさまざまな「大人」と出会う機会に恵まれるようになった。江沢民と並んでテレビニュースに映るような方とふたりだけでお話ししたこともあったし、すばらしいバランス感覚としたたかさ、そして人情を併せ持つ方に出会うこともあった。
そして最近思うのは、身近にいる日本語を話す友人たち(会社の社員も含む)の中に、将来の大人物候補がたくさん潜んでいるのではないかということだ。彼らは中国人としての優秀さを本質に持ち、日本人との付き合いから得た「和」の感覚を用い、巧みに組織と人脈を強大にしていくセンスと能力を身につけ始めている。そういった彼らこそ、現在そして将来にわたって大切にすべき仲間ではないかと感じている。
「隣人を見よ」そして「三日会わざればこれを瞠目して見るべし」である。
●連載test【広州はメタルモデル愛好家天国】
40〜50代の方々には子供の頃にプラモデルに夢中になった経験を持つ方が多いはず。小生、恥ずかしながら子供時代では卒業出来ずモデル制作に勤しんできましたが、最近ではコンピュータゲームに押され頑固親爺が細々と経営してきた模型屋も次々に閉店し、本人の根気も制作に充てる時間も無くなり出来合いのメタルモデルに目が向くようになっていました。しかしメタルモデルは日本ではとても高価。薄給サラリーマンの小生はショウウィンドウを眺めて指をくわえておりました。ところが広州に赴任してビックリ。街の玩具店に英国、仏国有名メーカーのメタルモデルが信じられないような値段で並んでいるではありませんか。でも良ーく点検するとどこかパーツが欠けていたり塗装が不完全であったりの非合法アウトレット商品なのです。その欠点を店員に指摘して値切り、長年培った技で修復させるのは格別の楽しみです。飛行機ならやはり戦闘機。本職の旅客機は愚鈍なイメージで美観に欠けますね。ただ家内に「帰国した時いったい何所に置くの?」と警告されているのが目下の悩みです。
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