新企画「食人も広州にあり」

(しょくにんもこうしゅうにあり)

(2005.7.6掲載)
 

【インタビュー】 割烹ひらた 董事総経理 杉田 誠一さん

  ご存知白天鵝賓館にある日本料理店「ひらた」。開業から23年を迎える老舗であり、その素材の良さや味の確かさには定評がある。1999年着任以来6年にわたり「ひらた」の顔として活躍されている総経理の杉田さん。そのいつも変わらぬ心遣いと笑顔の杉田さんの素顔に迫ってみた。「食人も広州にあり」第1弾。

 

HPWG:海外でこうしたお仕事をされるようになったきっかけは?

杉田:海外を含めてレストランを展開する会社に1971年に入社しました。入社2年目から和洋中さまざまなレストランに修業に出された後、海外営業に携わるようになり、78年に当時IJPC(イラン日本石油化学)プロジェクトで3000名の日本人が居住していたイランのバンダルシャプールに赴任しました。毎日日本人従業員向け9000食、韓国人800人向け2400食のまかないを提供し多忙な日々を過ごしていました。そして792月ホメイニ師率いるイスラム革命が起こり、私たちが連れて来たスタッフの多くも他の日本人とともに政府の救援便で帰国しました。その後帰国を試みたものの2ヶ月ばかりは定期便の行き来も途絶え、先の見えないまま現地に留まりました。運航が再開されたばかりの航空機で当時の社長が数千ドルを握り締めてやって来て「杉田君苦労をかけてスマン」と言ってくれた時の感激は忘れられません。

その後は日本を本拠に海外での店舗展開などで西へ東へと出張の日々を過ごし、96年にシンガポールに赴任し3年半で事業の建て直しを行なった後、99年に広州にやってきて早いもので6年になります。

HPWG:広州に来られてからはいかがでしたか?

杉田:「ひらた」は1982年にホテル開業と同時にオープンして歴史もあり順調だったのですが、徐々にメニュー等のマンネリ化もあり97年に初の赤字を計上し、98年はさらに倍増するという厳しい状況にありました。ホテルとの契約が10年であったためそれが満了する2002年までに立て直そうと心に決め、02年末には無事に負債を一掃のうえホテルと再契約し、03年には一部改装してリニューアルオープンすることができました。しかしその直後にSARSが発生。特に例年は交易会で賑わう4月の業績の落ち込みが激しく、数ヶ月厳しい状況が続いたものの、8月以降は元に戻ることができ、おかげさまで今日を迎えることができています。

HPWG:「安心して接待できるお店」としても定評のある「ひらた」ですが、お客様の国籍はどのような割合なのでしょうか?

杉田:現在は中国人50%、日本人40%、その他欧米やアジア各国の方が10%くらいです。

   中国人の方にも「本物の日本料理」を知って頂きたいをモットーにやってきましたが、最初はしゃぶしゃぶにバターや油を入れる方がいるなど戸惑うことも多かったものです。しかしこの34年で状況は大きく変化し、本物を喜んでくださる中国人のお客様が増えてきたのは嬉しい限りです。ただそうした中国の富裕層の方たちの目が最近海外に向いてきて、春節や労働節などの長期休暇になかなかお越し頂けなくなってきているのは残念です。

HPWG:「ひらた」でのおすすめメニューは何でしょうか?

杉田:「鯖のたたき」です。日本産より脂の乗ったノルウェー産を少し火であぶることで甘さがでておいしいですよ。またご接待で利用される際はぜひ「懐石」をご注文ください。季節感と新鮮さあふれる食材でメニューを工夫してご用意します。時にはホテル内の他のレストランから魚介類や果物を取り寄せることもあり、こうしたことができるのはホテルの中にいる強みでしょうかね。
 

杉田さん一番のおすすめ「鯖のたたき」  
名物ひらたサラダ いつも新鮮で豊富な刺身は「ひらた」ならでは

HPWG:ところでお忙しい毎日と思いますがご趣味や休暇の過ごし方は?

杉田:広州に来て6年になりますが旅行をする暇もなく、まだ深センにも海南島にも入ったことがありません。この5月の連休に機会があり初めて上海に行ってきました。

   小学生の頃はリトルリーグで野球、中学では水泳とスキーに夢中になるなど体を動かすことは好きなので、現在は毎日ホテルのある沙面付近を3周走るのと、時間があればプールで泳ぐのが健康管理とストレス解消法になっています。

HPWG:少年時代はどのようなお子さんだったのですか?

杉田:新潟県の上越市というところで教師の一家の長男として育ちました。厳しい家であまり外で遊ばせてもらえなかったのもあり、小学4年生くらいから倫理社会の教師だった父の本棚にあった哲学書を読んだり、書道をやっていた関係で中学に入ると中国の「書」に興味をもったりと、ユニークではあったのかもしれません。また中1の時にカナヅチだったのが悔しくて水泳部に入り、2年後に平泳ぎで全国大会に出場しました。その頃から負けず嫌いではあったと思います。高校時代には当時の学生運動の波に身を投じ、その後親元を離れ東京に出ることになりました。下の兄弟はみんな大学に進み堅い職業についていますが、私だけはどういうわけか・・・(笑)

HPWG:さて海外で多くの日本人を見続けて来られた杉田さんですが、何か大きく変わったと思われる点はありますか?

杉田:昔はいわゆる親分肌の人が多く、仕事が終わると社員全員を引き連れて食事に繰り出すなんていうのもよくありましたね。今はもう時代が変わったのでしょうが、当時のそういった方たちとのお付き合いはいい思い出です。

HPWG:毎年春に日本から社員や取引先を招いて「広州食べ歩き」をされているとか?

杉田:「食は広州にあり」を体験してもらおうと毎回一流どころに案内しています。とはいえ「ひらた」と同じ白天鵝賓館の中のレストランがどこも素晴らしく、あまり遠出をしなくても最高の美味を体験できます。かつてエリザベス女王が宿泊された時の広東料理のメニューを再現してもらったりして、みんなに喜んでもらっています。

HPWG:その他では広州ではどんなお店がお気に入りですか?

杉田:中華だと天河の「東悦酒家」がおいしいと思います。そしてよく行くのは流花湖公園のお粥屋さんですね。

HPWG30年以上この道でやってこられた秘訣は。

杉田:常に「お客様に喜んで頂きたい」という気持ちだけです。「ありがとう、おいしかったよ」と言って頂けると、この仕事をやって来てよかったなと思うものです。

HPWG:今日はありがとうございました。

 


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