<シェフにインタビュー>
「フレンチ一筋四十年」という馬込シェフ。チャレンジ精神あふれるそのお人柄に、こちらまで元気になってしまう。同店人気のもう一つの理由かも。
―もともと福岡で洋食レストランを開いていらっしゃったとか。
馬込シェフ「東京で十年間フレンチの修行をした後、三十歳の時に、福岡に店を持ちました。店から300メートルくらいの所にヤフードーム(旧福岡ドーム)があったので、ソフトバンクホークスの王貞治監督もTシャツ姿でよくいらっしゃって、名物の牛タンシチューなどを召し上がってましたよ」。
―その牛タンシチューは、こちらのお店でも人気ですね。
馬込シェフ「日本で作っていた味に少しでも近づけようと苦労しています。和牛がまず、高くて手に入らない。そのため、今はアトランタやテキサス産の牛を使い、タンだけでなく、ビーフと半々にするなどして、素材は違うけれども同じ調理法でお出ししています。
料理の材料は、ほとんど中国で調達していますが、和牛のほかにも乳製品など、手に入らないもの、味が違うものも多い。最初半年くらいは、言葉と素材の問題でとにかく大変でした。自分で市場に行ってはいろいろな素材を買ってきて、新しい料理に挑戦しました。牛はなかなかいいものがないんですが、野菜を使った料理や、伊勢海老、アワビ、ホタテ貝など海鮮類を使った品は増えましたね。それから『何でも偽物と思え!』と忠告をいただいたんで、ワインやパンなどは偽物に騙されないように気を使いました(笑)」。
―なぜ広州に店を構えたんですか?
馬込シェフ「よくぞ聞いてくれました! 実はこれ、“親孝行”なんですよ。妻は中国の上海出身なんですが、その両親が七十歳を超えて体調を崩しましてね。それで同じ中国にいたほうが、いざという時心強いだろうと思いまして。広州にしたのは、妻の妹が住んでいるからなんです。本当は呼び寄せたいところなんですが、やっぱり妻の両親も住み慣れた土地がいいということで、広州と上海を行ったり来たりしています」。
乃琪さん「彼が犠牲になってくれました。でも、この人は『俺は包丁一本あればどこでもやっていける』と言ってましたから。結構好きなんですよ、海外で新しいことに挑戦するのが。アメリカのヒューストンでも、二年間店を開いていたことがあります」。
―そもそも、お二人の出会いは?
乃琪さん「実は彼は、私が日本へ留学した時の保証人だったんです。私のいとこは日本で活動していた音楽家で、たまたま彼の店で演奏したご縁で私の保証人になってくれた。それが、人生の保証人にまでなっちゃったんです(笑)」。
―2006年6月21日の開店から一年が過ぎました。お客様の反応はいかがですか。。
馬込シェフ「おかげ様で口コミでたくさんの方に来ていただいています。最初は日本人の奥様方によく利用していただき、そのうちにその旦那様が接待で使ってくださるようになりました。そうなると、一度来て下さった方が今度はまた新しい方をお連れ下さって、今ではフランスの料理人の方々や地元中国の方々など、日本人以外のお客様も半分くらいいらっしゃいます」。
―それだけ人気が出ても、看板を出していないのは、なぜですか?
馬込シェフ「大人の隠れ家として、家に遊びに来た感覚でくつろいでもらいたいからです。メニューをあえて作らず、私がお勧めする献立(『シェフ自慢のおまかせ料理』)を召し上がっていただいているのもそのためです。事前にご予約をいただくので、例えば『ハンバーグ中心のコースであとはおまかせ』…といったオーダーにはお応えできます。
実のところ、最初は『あまり大勢来ていただいても捌ききれないかも』と思ってこういうやり方にした面もあるんですが、今はこのやり方も面白いと感じています。隠れ家風だと、特に外国人のお客様は『どこに連れていかれるのか』とワクワクなさるようです」
―最後に、こちらでお店を開いて良かったことはなんですか?
馬込シェフ「広州には、色々な分野で世界を動かしている方たちが集まってきます。そういった方たちとお話ができるのはなんといっても楽しいですね!」。
<ひとりごと>
「おいしかったです。また来ます」「中国在住早7年。初めてうまいものを喰いました」などなど…。店の一角の白い壁には、この隠れ家を訪れた人たちの“足跡”がぎっしりと残されています。どのコメントからも、おいしい食事とお酒で、すっかりくつろいだ様子が伝わってきました。
それもそのはず。フレンチと日本の洋食を基本とする同店ですが、5つある部屋の中には、なんと掘りごたつ式の個室(8人用)も用意されているのです!ほかにも、子供連れの家族が気兼ねなく食事を楽しめる小さな個室や、一人で座れるカウンターも。大事な商用に、仲間同士の交流に、家族の大切な日に、さまざまに利用できる。そんな素敵な“隠れ家”でした。
|