広州人物図鑑

  • 「私が感じる広州人の魅力」


八田先生に引き続き、「広州人物図鑑」で書かせていただきます太田です。どうぞよろしくお願いいたします。

私は東京出身でほとんど東京から出たことなく過ごしていましたが、縁あって2005年5月から広州で働き始め、気がつけば、10年以上広州で暮らしています。2014年6月には自分で会社を立ち上げ、とうとう本格的に広州に根付いてしまいました。1105_1

「広州人物図鑑」ということで、広州に暮らす私の自己紹介、をさせていただく機会なので、なぜ、私が広州にこれだけ肩入れしてしまい、根付いてしまったのか? を書いてみたいと思います。

なぜ広州にこんなにこだわっているのか? それは、一言で言えば、「広州が好きだから」です。(至極簡単な理由でスミマセン!)

私が思うに、広州の魅力はいろいろあります。多くの皆さんにご共感いただけるのは、きっと「食べ物が美味しい」ということではないでしょうか? 私は特に、もともと中華料理が好きなこともあり、毎日、美味しい中華料理が食べられる広州は天国です。

しかし、食べ物の誘惑以上に、私が感じている広州の魅力は、人、だと思います。私にとっては、広州出身の広州人は一緒に仕事をしたり、友達になったりする上で、非常に気が合う人々です。

華僑をたくさん輩出していることもあり、広州生まれの人々は、大体外国に親戚がいます。また、香港にも親戚がいる人がほとんどです。さらに、小さい時から香港のテレビ番組を見て育ってきています。そうしたこともあるのか、広州人は、非常に海外に向かって目が向いていて、私のような外国人に対してもほとんど特別視することなく、普通に付き合ってくれている気がします。

私どもの会社は、企業パンフレットなどの印刷物デザイン・製作やSNSを使った企業PRのお手伝いをさせていただいています。(ちなみに、毎月、会員の皆様のお手元に届いている広州日本商工会会報も、弊社が作らせていただいています)

弊社には、正社員、パートあわせて7名の社員がいます。私以外は全員中国人、そして、私以外の6名のうち、江西省出身の1名を除いて、すべてが地元・広州出身の生粋の「広州人」です。彼らは私よりも10歳ぐらい若いのですが、あまり年齢や文化のギャップを感じずに仕事ができています。

弊社の広州人スタッフは、どちらかというと大人しいタイプで、はっきり言えば「気弱」です。あるスタッフは、国慶節にドイツに行き、ビール祭りでビールを飲みに行ったのですが、「ドイツのビール美味しかった?」と聞いたら、「カウンターにドイツ人がたくさんいて、怖くてビールを買えませんでした」と答えるではないですか…。さすがにこれは大人しすぎるのではないか、と思いました…。

彼ら以外にも、私の広州人の知人・友人は、エレベーターや地下鉄も人が多いと「次でいいや」と乗らない人が多く、どうも人を押しのけて何かをする、ということが、中国の他の地方出身の人よりも苦手なのかな、と思っています。時には大人しすぎる気もしますが、裏を返せば「余裕がある」とも言えるのかとも思います。

広州人のことを書きましたが、以前1年半ほど住んでいた上海と比べると、広州に住んでいる外地出身の人も含め、この街に暮らす皆が、なんとなくゆったりしている気がします。広州の南国特有のゆるやかな雰囲気が、人々の余裕を産むのでしょうか。

広州人を中心とした、このようなおおらかな広州の雰囲気が、私を広州に惹きつけているのですが、しかし、私が思うに、広州人には、一つだけ、悪いこともあります。経験上、広州人が新規開拓をすると、あまりうまく行かない、と思います。毎日苦労して客先を周り、頭を下げ、時には嫌な思いもして仕事を取ってくる、という地道な苦労は、ちょっと苦手なようです。そのかわり、デザインや編集、企画など、クリエイティブなことに関しては、自分から進んで残業しても、満足が行くものを作りたい、という人が多い気がします。

この広州人の特性は、私どもの会社にとっては非常にプラスで、私は毎日、とても広州人スタッフに助けられています。

以上、私が感じる広州人の魅力について、つれづれなるままに書かせていただきました。

そんなわけで、広州好きな私はまだまだ広州にいて、日々広州人とともに、おおらかに、しかしときには奮闘しつつ働き続けると思います。ぜひ皆さま、末永くよろしくお願いいたします!

広州田園商務諮詢有限公司(田園工作室)

太田元子

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