広州人物図鑑
- ここに至る「ご縁」、いまここにある「ご縁」
みなさん、こんにちは。竹内將人です。今年の4月からBeyond HR Serviceという人材会社を現地で立ち上げて事業活動しています。
2009年10月の国慶節、私は前職での異動で上海から広州にやって来ました。気が付けば、広州に来て7年余りが過ぎました。その前の上海時代を加えると中国生活は次の4月で丸9年となります。中国に来た当時、まさか自分が中国にこんなに長くいることになるとは思ってもいなかったですし、まさかここで起業することになるとは来た当時は夢にも思っていませんでした。振り返ると、中国に来たことも、今ここで会社を立ち上げて活動していることも、色んなご縁があったんだなと思い返されます。
2008年4月に、私は転職する形で日本から上海に渡りました。日本では大学卒業後、人材派遣最大手のスタッフサービスで働いていました。学生の頃から海外で働いてみたいという気持ちを持っており、海外20数か国に拠点を展開していたことも魅力に感じて入社したのですが、入ってから知ったのですが海外駐在者は1名だけで、どうもこれは仕事で海外に行くチャンスは無さそうだなということに気付きました。
30歳を前にしたタイミングでその後のキャリアを考えた時に、一度は外に出てみたいと思いましたし、外に飛び出すのであればこのタイミングを逃したら自分自身のフットワークが鈍くなると考え、そんな思いで求人サイトを検索した時に目にしたのが、当時中国に進出したばかりのリクルートの中国勤務の求人でした。「まずは話だけでも聞いてみよう」くらいのスタンスだったのですが、人材業界からの応募は希少だったらしく、スムーズに話は進んで行きました。奇しくもそのタイミングで在籍していたスタッフサービスはリクルートグループ入りし、外に出ても残ってもリクルートだったというのは何かの縁だったのかも知れません。
当時のリクルートは、まだ広州に拠点がありませんでした。しかし計画は既にあったので、入社する前から広州に行ってもらうことになると思うということは言われており、中国に来て上海で働き始める前から、いずれは広州へという意識はありました。そして、2009年10月に異動の命が下り、広州での生活が始まりました。
「なぜ中国に来たのか」ということを、よく尋ねられます。なかなか一言では答えられないのですが、いくつかのことが重なったり繋がったりしています。小学生の頃、日本の歴史が好きで、その延長線上で中国の歴史にも興味を持ちました。その後観た「敦煌」や「ラスト・エンペラー」などの中国を舞台にした映画も中国への関心を強めるものでした。高校時代には、地元北海道の姉妹都市との交流事業の一環で黒竜江省から派遣された中国人教師の方と親交を持つことができ、中国の方から中国の話を直接聞く機会がありました。そんな興味から第二外国語では中国語を選択、卒業旅行では1ヶ月間中国を旅行しました。中国では実際に働いている先輩の家に泊まって話を聞いたりもし、「いつかは海外で」がいつの間にか「いつかは中国で」に変わって行ったように思います。旅行中に読んだ、当時の中国の高い経済成長に関する本も、中国にチャンスを感じるきっかけになりました。今思えば、色んなことが中国で働いている今に繋がる縁だったのかな、と思います。
今年からリクルートを「卒業」し、独立企業して事業活動を行っていますが、一緒に事業を立ち上げたのは既に退職していた前職での仲間でした。優秀な仲間たちで、彼女たちがいなければスムーズに会社を立ち上げることも出来ませんでしたし、順調に事業を進めて行くことも出来なかったと思います。本当に有り難いご縁を頂いているなと思っています。また、「卒業」して企業する人が多いという文化を持つリクルートでお世話になったことも、元々自分の中にはなかった「起業」という発想を身近にしてくれたことに繋がっていると思っています。
中国に来て一番よかったと思っていることは、「人との出会い」です。日本にいてももちろん色々な方との出会いはあるのですが、日本にいた時とは全く違う量であり、層であり、距離感です。とくにこの広州の日本人社会というのは、それなりの規模がありながらどこか狭い世界でもあり、人間関係も幅広さと深さを両立しやすいコミュニティだと思います。仕事柄幅広い業種がお客様になるので、色々な業種や職種のお話を聞かせて頂く機会はあるのですが、日本では繋がりを持たなかったであろうような方たちと仕事を越えて親しくお付き合いさせて頂いていることは、とても刺激的ですし、沢山のことを学ばせてくれます。また、ここは中国。何人もの尊敬出来る素晴らしい中国人の友人にも出会うことが出来、感謝しています。
手前味噌になりますが、私は人の縁に恵まれていると思っています。今、この文章を書きながら、今まで中国で出会ってきた沢山の人達の顔が浮かんでいます。その出会いの一つ一つから何かしらの刺激を受けつつ、今の自分に繋がっていると思います。「起業」についても、以前このコーナーにも登場された太田さんを始め、何人もの当地で起業して活躍しておられる友人たちとの出会いがあったことも、「起業」を身近なものに感じさせてくれ、大変大きな原動力になりました。そして開業後も沢山のお客様からご依頼を頂いていますが、それもこれまで築いてきた人のご縁に大変助けられていることを、ひしひしと実感しています。
この素晴らしいご縁は、ただ待っているだけではなく、ちょっとした心がけで手に入れられると考えています。私が心がけてきたことは、自分で食事会を開くということでした。ゴルフはやりませんがお酒は好きなので、飲み食いしながら喋ることを自分なりの社交の場としています。そしてその際に意識していることは、ビジネスに繋がる繋がらないに関わらず、出来るだけ幅広い業種の方と接点を持つことと、いつも同じ顔ぶれでつるまないこと、年代、国籍、性別、できるだけ偏らないようにすること、そして業務外で話してみたいと思う方を積極的に食事に誘うことです。とそういう方々が集う場を自分で作れば、自分にとってのご縁になるだけではなく、場をともにされる皆さんにとってもご縁を提供することにもなります。この人とこの人が話したら素敵だろうなということを想像しながら食事会のメンバーを考えることも、楽しみの一つです。広州で色々な方との接点を持ちたい方には、お勧めです。(7人以上の時は円卓にすることが一体感を持って話をするコツです)
私自身が今ここでこうしていられるのは、ここに至るまでに色々なご縁を頂いたからだと思っています。そして、今現在も色々なご縁を頂いていると思っています。これはきっと、未来の自分につながっていくご縁なのでしょう。そんなご縁を頂きながら、今改めて決意することがあります。私の仕事は人材紹介ですが、この仕事自体が縁を繋ぐことで成り立っています。沢山の企業と接点を持ちつつ、新たな機会を求める人材との縁を繋ぐ。まずはここをしっかりとやっていくことが大切なのですが、それと同時に仕事の範囲を越えて、当地での人と人の縁を繋ぐことにも積極的に取り組みたいと考えています。私を助けてくれている人のご縁への恩返しのつもりでもありますが、繋いだご縁は、いつかまた自分のところに別のご縁となって回って来るような気もしています。
ご縁があって今この時をこの地で共にしている皆様、これからもどうぞよろしくお願い致します。
略歴
1977年、北海道出身(広州北海道会幹事)。大学進学以降11年を東京で過ごし、中国への転職を機に2008年4月より上海、2009年10月より広州に在住。2016年4月、独立して人材紹介会社Beyond HR Serviceを仲間と共に起業。人とのご縁に感謝しつつも、そろそろ「良縁」にも恵まれたい39歳。趣味は日本では登山とスキーだったが、中国では広州に来てから始めたランニング。広州走友会在籍。ラン仲間、求む!
竹内將人