広州人物図鑑

  • 夢の第一歩を広州で

9月27日に越秀区環市東路の中環広場5階にオープンした日本料理店「海乃幸食堂」。「海鮮丼屋ですき焼きを食べる」という一風変わったコンセプトの同店のオーナーシェフは、36歳にして異国での独立の夢を叶えた藤田大輔さんです。

Q:なぜ料理の道に?そして、なぜ広州で独立を?

A:兵庫県尼崎市で生まれ、0歳にして父の転勤でドイツに渡り中学までデュッセルドルフで暮らしました。小さな頃からサッカーをやって、将来はプロサッカー選手になることを夢見て本気で取り組んでいましたが、プロサッカーテストに受かることができませんでした。大学は日本のサッカー強豪校に入学しましたが、体育会の雰囲気に馴染めず。2年で退部することになりました。

この頃、バイトで働いていた居酒屋のキッチンの仕事がとても楽しく、このお店の親方も男として魅力を感じられる人でした。そこで、大学卒業と同時に、親方に入門し、この居酒屋で働くことになりました。

「魚を捌いて刺身盛りを作る」というのが当初の目標でした。しかし、正式に入門してみると、親方はとても厳しく、料理も教えてくれず、毎日罵倒の連続で鬱になりそうなほどでした。1年間この親方の元で修行し、次に、「居酒屋よりワンランク上の職場で勤めよう」と、有名な親方がいる熱海のある高級旅館に転職しました。

しかし、ここでも米とぎや皿出し、包丁研ぎばかり。仕方ないので、たまの休みには、自宅で卵焼きの練習をしたり、魚市場の魚屋さんを手伝わせてもらい、そこで魚の捌き方を習ったりしていました。

同期は1週間で辞めていく中、私は3年頑張りました。しかし、やはりいつまでたっても魚の捌き方を教えてもらえず下働きばかりだったので、この旅館の二番手の板前だった先輩が東京の店に行くのについて、自分も憧れの東京に行くことにしました。この店で、やっと刺し身盛りを作らせてもらえることになりました!人生初の夢を叶えたこのときが、27歳でした。

人生の目標を一つ達成したところで、では次に何をするか…。そこで、考えた次の目標が「お店を出して独立する」です。

店を出すには、料理だけではなく、経営のことも学ばねば…。そこで、飲食や介護などあらゆる事業経営を手がける「絶好調」という会社の飲食部門に入社しました。

入社当時は、板前の世界と全く違うので戸惑いました。この会社は全員がアグレッシブで、自分はバイトにすら「包丁を握る資格がない」などバカにされるほどでした。しかし、それから一念発起し、全社から店長になりたい人が参加する店長プレゼンで2位になり、店長になることができました。

店長として必死に頑張りましたが、独立する上で、じゃあどこで店を出そうかと思ったときに、「海外に行ってみたい」と思いました。漠然と「世界には夢がある」「異国の人々に日本食を提供する事に大きな意義と志がある」と思ったのです。             、

そして、自分が店長の店が「居酒屋甲子園」に参加。そのときに「自分は海外に行くぞ!」と叫んだのを聞いていた居酒屋「炎丸」の社長さんが「じゃあ、シンガポールに行ってみないか?」と言ってくれたのです。夢も言い続けると実現する、まさに「引き寄せの法則」だと思いました!

そして意気揚々とシンガポールに行きましたが、英語も話せず、文化も違うところで、日本本部と現地の板挟みに遭い、とても辛い経験でした。でも、途中で諦めたら駄目だ、と頑張り、なんとか契約満了まで頑張ったところで、社長から、「次は香港に行かないか?」と言われ、香港での居酒屋立ち上げをやりました。その後、上海、広州でも店を立ち上げ、ノウハウを勉強することができ、同時に独立資金も貯めました。

広州との出会いも、この炎丸広州店設立がきっかけでした。

Q:なぜ広州で開店?

A:「海外で独立する」という夢を持ちながら、では場所はどこにしようかと考えていましたが、広州と出会って「ここはいい」と思ったのです。日本食のレベルも高く発展していて、食文化もいろいろある。そしてなにより、広州はなんとなく「フワッ」としていてやさしい雰囲気を感じ、「ここ好きだなあ」と思い、ビジネス抜きでもいいから生活してみたい、と思ってしまったのです。

それから1年間、プランを練り、1年間物件を探し始めました。最初は路面店で日本人のお客様をターゲットにした店を考えていましたが、なかなかふさわしい物件に出会えなかったところ、「イオン跡地のテナントはどうですか?」と不動産屋さんにご紹介いただきました。モールでの開店は、炎丸時代に経験があるので良いと思い、決めました。しかし、立地、そしてモール内テナントということで、日本人ターゲットから中国人ターゲットに変更する必要があります。そこで、今までのプランを白紙にして、半年でコンセプトを考えなおしました。

そして、9月、ようやく、「海外で独立する」という夢の第一歩となる、広州の店「海乃幸食堂」をオープンすることができました。

Q: 海乃幸食堂はどんなお店ですか?

A:この店では、日本のおもてなし、文化を伝えて、皆さんに楽しんでいただきたいと思います。

「海鮮丼屋ですき焼きを」というコンセプトは、「アンバランスさを出して、新しい空間を作りたい」という気持ちで付けました。中国でヒットするのは海鮮丼屋やお刺身のお店。しかし、中国人のお客さんもすき焼きが好きです。そこで、この2つをあわせてみたのです。音楽はあえてJ-POPではなくラテンにして新しい空間を演出しています。

Q:やってみてどうですか?

A:最初の1週間は全然お客さんが来なくて、胃が痛くて仕方ありませんでした。今は少し見えてきましたね。天河地区と比べると、まだまだ馴染みのない日本料理屋に入るのが怖い、という感じがあるようです。今は目の前のお客さんを大切にし、リピーターを作りたいと思っています。

Q:これからの夢は?

A:海乃幸2号店を作ること、そして炉端焼きの店を作ることですね。もちろん、今はまず、この店をしっかり安定させることが一番大切だと思っています。

当店は、日本の味とサービスを皆様に提供することにこだわっています。日本人の皆様にも是非お気軽にご来店いただき、お酒を飲んだり、ご飯とお味噌汁が美味しい定食、そして海鮮丼、すき焼きを気軽に楽しんだりしていただきたいです。がんばりますので、ぜひ応援よろしくお願いいたします!

海乃幸食堂
広州市越秀区環市東路建設大馬路中環広場北塔5階5007舗
電話番号: 136 8225 2663
営業時間: Am10:00〜Pm11:00
無休

 

 

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