広州人物図鑑

  • 中国鉄道の魅力をより多くの人に知って欲しい

いつも美味しいお店情報、そして旅行情報、特に鉄道情報など、広州を中心に中国の情報を発信している友和不動産・安住生活の阿部真之さん。広州の有名人の阿部さんですが、意外と知ってそうで知らなかった阿部さんの鉄道マニアになったきっかけ、そして中国鉄道への熱い想いをお伺いしました。

広州で最初に働いたオフィスがあった広州国際大廈前で

——中国に来たのは?

阿部 「中国で暮らしたい!」という夢を持って、31才のころ、2004年9月から1年間、北京に留学しました。その後、広州に移動して就職活動をしましたが、いいところがなく帰国。しかし、中国で暮らす夢が諦められず、06年4月から東莞の工場で働き始めました。しかし、工場勤務はあまり肌に合わず、また職探しをして、06年11月からウェネバー広東に入社。その後、17年3月に安住生活に入社して現在に至ります。

——中国で暮らしたいと思ったのはなぜ?

阿部 もちろん、中国鉄道があるからです!(笑)

私は実家が埼玉県のさいたま市。祖父の家は旧与野市にありました。祖父の家から大宮貨物操車場まですぐだったので、よく祖父に連れて行かれました。きっと動くものを見て喜ぶ子供だったのでしょう。その後、鉄道の本を買ってもらったり、ブルートレインのポスターをもらったりして、幼稚園年長組のときには、すっかり鉄道マニアになっていたのです。このとき、日本の地名も覚えました。

小学生になっても鉄道熱はどんどん高まるばかり。通っていた耳鼻科の近くには東北線が走っていて、特急列車、急行列車、客車列車、貨物列車などなど、いろいろな車両がやってくるのを見て、胸をワクワクさせていました。まだ東北新幹線開通前の話です。

しかし、その後、東北・上越新幹線が開通し、国鉄がJRになり、寝台車や特急等、列車の種類が減り始めました。それにつれて、私の鉄道への興味も薄れて、高校生になるころには、鉄道への興味は殆どなくなってしまいました。代わって興味を持ち出したのが、歴史です。日本の歴史を一通り勉強した後、大学に入り中国の歴史を勉強することに。そして三国志にハマっていきました。

ということで、私と中国の出会いは、実は鉄道ではなく、歴史だったのです。

しかし、大学三年生(96年)の時、転機が訪れます。

機関車が客車を引く、それが当たり前のように走っていた姿にノックアウトされたきっかけになった光景

この年の春休み、中国の主要都市を巡る歴史ツアーに参加しました。その際に、中国で機関車が客車を当たり前のように引く光景を見たのです!!さらにこのツアーで北京から鄭州までの寝台列車、洛陽から西安への観光列車に乗って「中国の鉄道はこんなに快適だったのか!と」衝撃を受けたのです。

今はなくなりましたが、当時日本では、機関車が客車を引くシーンは、東京・上野・大阪から地方に向かう寝台列車と不定期のイベント列車の運行しかありませんでした。それが中国では普通に行われている…その光景が、子供の頃に見た国鉄の客車列車とも重なり、脳天をガツンとやられてしまったのです。その後、東京神田の中国書籍専門書店・東方書店で中国鉄道の時刻表を見つけて手にとってみると、なんと60時間以上も走る長距離列車や9000キロ以上走る国際列車があるではないですか!

「こんな鉄道に乗ってみたい!」

こうして、どんどん中国鉄道への思いが募っていったのです。

大学四年生(97年)の2月から3月にかけて中国の鉄道に乗りに行く「乗り鉄」と遺跡観光を兼ねた1カ月間の卒業旅行を行いました。このとき、前年に開業したばかりの北京から深圳に向かう京九線の寝台列車に乗って48時間かけて移動したことは今でも鮮明に覚えています。

大学卒業後は埼玉の企業に就職しました。この企業は比較的休みが取りやすく、毎年1回は中国に行って乗り鉄を始めます。ちょうど、97年4月から2007年4月まで中国は大規模なダイヤ改正を行い各路線の速度を上げてきていたころでした。だから、毎年時刻表を見て「今年は14時間から12時間まで縮まった」と喜び、快適な列車に乗って中国鉄道の発展を肌で感じるのが楽しかったんです。

04年9月頃撮影。北京にて

そうこうしているうちに、年1回の旅行では飽き足らず、中国に住みたい!と思うようになったのでした。04年7月、北京に留学する直前には、北京→広州→深圳→広州→香港→上海→ウルムチ→(この間は飛行機)→北京→ハルピン→北京→南京→上海という1万キロ以上の「乗り鉄」をしました。この頃は広州→香港間もいろいろな種類の列車が走っていたし、中国独自開発の旧世代動車組もたくさん走っていました。

−−中国鉄道について、熱心に情報発信されていますね

阿部 03年には中国鉄道に関するホームページを作りました。立ち上げた動機は、中国鉄道に関する正しい情報を日本の人に知ってほしかったからです。

当時、中国を旅する人といえば、バックパッカーが主流。彼らは最も安い路線のハードシート(硬座)に乗って苦行のような旅をするのが当たり前のように紹介されていました。でも、中国の鉄道はどんどん進化しています。なぜ便利な、すごい鉄道があるのに、古い情報を元に古いやり方の旅ばかり紹介するのか—この状況にモノを申したくてホームページでの情報発信を始めました。その後、06年10月には「中国鉄道倶楽部」を立ち上げ、ブログやオフ会なども活発にやっていました。しかし、目まぐるしく変化する中国鉄道のスピードについていけず、18年8月に終了しました。中国鉄道自体も、2016年に紙の時刻表を廃止したほど、とにかく毎月激しく状況が変わっているのです。

現在は、安住生活でのネット配信、さらにウェネバー広東等媒体で執筆して情報発信をしています。WeChatやツイッターなどのSNSもやっています。

これまで乗った切符と、2011年に日本で出版された共書「中国鉄道大全」

−−これまでどのくらい中国の鉄道に乗りましたか?

阿部 初めて乗った時から数えて、現時点(2019年2月)で1310回。距離にして57万キロ、地球を約14周半していることになりました。かかった料金は25万元です。それでも、中国の鉄道はまだまだ変わり続けるので、乗り続けなければなりません!毎年新しい路線がたくさん生まれて、今まで10時間かかったところが2時間で行けるようになった、などという発見をして、乗ってその便利さを体感して、皆さんに紹介したいです。

——中国鉄道マニアにとって、広州に住むメリットは?

阿部 広州は華南エリアの中心。だから、広州を起点に全国をくまなく走る長距離列車に乗りに行ったり、深圳や香港を含む華南エリアの鉄道情報をより早くキャッチできるのが魅力です。今注目なのは香港の高速鉄道。昨年9月までは香港と中国大陸都市の直通列車は広州、上海、北京しかありませんでしたが、高速鉄道開業後は先の3都市はもとより昆明、桂林、杭州、武漢、アモイなどに向かういろいろな高速列車が一気に誕生しました。

——今後の目標は?

阿部 友和不動産・安住生活のWeChatなどでさらにたくさんの広州在住日本人の方に鉄道情報を含めた生活情報を配信していきたいです。

安住生活では、旅行ツアー案内、鉄道・航空チケット予約、ハイヤーサービスを行っています。「切符を買うのが難しい」「旅行したいけどどうしたらいいかわからない」という方は、お気軽にご連絡いただければうれしいです。

中国鉄道というと、なんだか混んでそう、駅が遠い、などなどハードルが高いと思われる方も多いです。しかし、チケットも安住で手配できますし、安住ハイヤーを使えば、広州南駅もすぐです!(笑)

ロマンあふれる中国鉄道、皆さんも是非是非一度、乗ってみてください!!!

 

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