広州人物図鑑

  • 日々是勉強!広州で過ごす青春時代

広州の皆様、こんにちは、加藤 勇樹です。すでにご挨拶させていただいた方も、初めてご挨拶させていただく方も、両方の皆様にご挨拶させていただきます。
私は2015年からFIND ASIA という人材紹介‐文化交流促進を行っている会社で、勤務させていただいております。

中国に初めて来たのは学生時代の2011年に、中国の黒竜江省‐吉林省⁻遼寧省‐内モンゴルを旅した際です。当時私はチンギスハーンにあこがれており、彼と同じ旅路を歩もうと考えていたのです。考え抜いた結果、馬によるシベリア‐中央アジア横断の旅を思いつき、ロシアから出発し、カザフスタン‐モンゴルを経由し、中国の東北部まで旅をするという長い長い旅を実行に移しました。3ヶ月に及ぶ旅路は長く、広い広い草原を騎馬で駆け抜けた一方で、旅の終着点として到着した中国では都市が生み出す活力と、深みのある文化に大いに感銘を受けました。

私自身は東北宮城県出身でしたので、中国東北地方に親近感がございましたが、13年に山形大学卒業後は中国に来る機会もなく、就職後も中国社会に直接触れることのない日々を過ごしておりました。ですがその後こちらで学ぶ機会と、「広州で一緒に事業を立ち上げないか」というFIND ASIAの社長の熱意、さらに良縁に恵まれました。そのおかげもありまして2015年に24歳の時に広州に来る機会をいただいたのです。

24歳でこちらに来た際は、日本での社会経験も浅い私が、何をすべきなのか、どのようにふるまうべきなのかと言った、毎日多くの悩みにぶつかることになりました。日本での社会人としての私の立ち振る舞いがまだ未成熟であったのに加え、中国広州での社会人としての立ち振る舞い、更にはビジネスの進め方、物事の進め方を日本式で考えるべきなのか、それとも今いる中国のやり方で進めるべきなのかという日々の疑問が尽きることがない日々だったのです。

FIND ASIAという企業としても、同僚は全員広州‐広東人であり、日本企業‐日本人と20年以上人材ビジネスを手掛けてきた社長も上海出身です。日本人で経験が人一倍浅い私が迷惑をかけてしまうのではないのか、果たしてこちらになじむことが出来るのだろうかという不安を抱えてのスタートとなりました。

その一方で、広東省広州という新しい環境に大いに魅了され、24年間の日本での生活では味わうことのできなかったような体験に日々驚きながらも、楽しむことが出来る自分がいるのを発見いたしました。日々変化を遂げるスピード感のある街並みが目立つ一方で、正反対の緩やかなゆったりとしてテンポを感じることのできる伝統文化。両方の側面がまさしく広州という街を形作っているのだと思います。


企業と人のご縁を繋ぐ今の人材紹介という仕事も、日々多くのことを学ばせていただける、学びの深い仕事だと感じております。企業文化に触れさせていただくのに加えて、広州の皆さんの声を直接聞かせて頂き、この街全体を深く感じることが出来得ます。また働く上の理念としても「企業に良し、人に良し、弊社に良し」三方皆良しを目指して、一人前のビジネスマン‐コンサルタントとしての研鑽を、日々日々積ませていただいております。なによりも発展しつつある広東省に、一部でも貢献できているのではないかという、充足感が働く上での最大のやりがいとなっております。最近では日本と中国の企業のご縁を結ぶ新事業を立ち上げたこともあり、日中双方のベンチャー企業の勢いや、新しいビジネスが生まれる現場を目の当たりにさせていただいております。

広州での日々やこうして過ごす中国の毎日では、多くの難しさに直面することが有ります、仕事の上での未熟さや、文化の違いによる誤解など、学ばなければいけないことが多くある私にとって、周囲の皆様から多くを勉強させていただいております。広州の良いところは、広いながらも適度な大きさに恵まれていること、公私ともに多くの方と触れ合うことが出来る場があることだと思います。顔見知りから友人になる切っ掛けを作れる適度な場と、文化の息吹に加えてビジネスの変化を感じさせてくれる環境。至らない自分、若輩者としての自覚はございますが今後も精進してまいりますので、広州という街を愛していきたいと思います!

略歴

1991年、宮城県出身。大学進学卒業までの22年間を東北で過ごし、大学卒業後の就職を経て、2015年より広州での勤務を開始。人材紹介‐文化交流促進を行うFIND ASIAにて広州を中心に広東省で広く活動中。日々の学びを楽しみつつも、新たなご縁を探している28歳。日本では趣味が高じてボクシングなどライセンスを習得したが、現在は街歩きや史跡巡りなどの文化系に転向。街歩き史跡巡り仲間を常時募集中!

加藤 勇樹

[広州日本商工会][広州人物図鑑]