広州人物図鑑

  • 今は亡き友人の想いを継いで


「私にしてみれば、料理人の域にはまだまだ達していない。半人前にすらなっていない。料理に人生をかけたという人は本当にすごいんです」。そう語ってくれたのはイタリアンレストラン「FRANCESCO YABE」のオーナーシェフ、矢部光志さんだ。彼がどのようにして料理の道を歩み、そして今、どのような想いで料理と向き合っているのかを語ってもらった。

——料理人を目指したきっかけを教えてください。

1972年、当時大学生だった私は、初めてイタリアのフィレンツェを訪れました。そこで偶然知り合った大学の友人がレストランのオーナーの息子で、その友人と初めてイタリア料理を食べに行ったことがきっかけです。単純に美味しいな、そう思いました。ですが、その時は料理人になろうとか、料理の仕事をしよう、なんてことは全く考えてもいませんでしたね。

大学を卒業する頃、私は自分の進路を考えた時に、この先料理人になってもいいかな、という風に考え出しました。しかし当時は、大学を卒業して料理人になる人なんて稀でほとんどいませんでした。家に帰ればありとあらゆる会社の求人情報がポストに挟まっていた時代です。ある意味どこでも就職できたと思います。なので、家族には全然本気にされませんでしたし、反対もされましたね。「無理して料理人になんかならなくてもいんじゃないか」と。

紆余曲折あり、私は大学卒業後にイタリアに渡りました。料理人、というわけではなく、とある会社に就職したのです。大学時代に知り合ったイタリア人の方がイタリアで車のデザイン関係の仕事をしていて、その会社に入社しました。彼はよく日本に来ていて、大学を卒業したら一緒に働かないかと誘われていたんですね。しかし最初に勤めていた会社は1年も経たずに無くなってしまいました。イタリアに来て1年目の出来事です。今日本に帰ってしまうと中途半端になる。そう思った私は、このままイタリアに留まることを決心しました。ちなみに、最初に仕事を紹介してくれたイタリア人の方はその後、料理人になりました。

仕事が無くなった私は、仲間と共に貿易会社を立ち上げ、8年くらいダラダラとイタリアで過ごしていました。料理は友人に教えてもらいながらは趣味でやっていた程度です。当時は料理が面白くて、見様見真似でやっていましたね。

——本格的に料理を仕事にしようと思ったのはいつですか?

仲の良かったダニエレという友人の死がきっかけです。彼は根っからの料理人でした。おじいさんの代から料理人で、台所で産まれたような家庭でしたね。私より歳は若かったのですが、本当に料理が上手で、料理に一生をかけた人でもありました。

私は2014年に広東省の中山にイタリアンのお店を構えていました。しかし中山という場所は、なかなかイタリアンが受け入れられない地域柄だったので、お店をこのままやっていくのかどうか悩み、ほとんど諦めかけていたんですね。

2016年、友人のダニエレが癌で亡くなったのは60歳手前のことです。彼が亡くなる3ヶ月前にイタリアで会ったのですが、彼は自分の残り少ない命をとても悔やんでいるようでした。「もっと料理をやりたい、やり残したことがたくさんあるのだ」と。

彼が亡くなる前、イタリアで一緒にお店を開こうと約束をしていました。「二人で理想のリストランテを作ろう」そう語り合っていたんです。

「もっと料理をやりたい、一緒に理想のお店を出したい」という彼の意思を継ぎたいと思いました。それが人生の転機となりました。私はまだまだ料理人とは言えません。ダニエレのような本当の料理人を見てきたので、料理人とはどういう人間を指すのか理解しているつもりです。彼のようなプロにはなかなかなれないが、ダニエレの気持ちは理解できます。

彼の死をきっかけに、2019年に広州で「Osteriaia Da Francesco」というお店をオープンさせました。そして私自身、料理に向き合う姿勢が180度変わりました。料理の研究をいろいろ重ね、もっと美味しい料理を作ろうと、より精を出すようになったのです。


矢部氏の友人であり、師匠でもある故ダニエラ・ラッディ氏(写真左)
ダニエラ氏はフィレンツェ料理人協会の書記長も務めていた

——中国のイタリアン事情について

イタリアンに限らず、日本のレストランは産地にとてもこだわりを持っています。逆に中国の場合は産地にはこだわりません。基本的に、料理を美味しく作るのが難しい原因の一つとして食材の産地問題があると考えています。これは、その国や地域の流通が確立されているか否かによるところが大きいです。

例えば、イタリア・ナポリ本来のピッツァを中国で作ろうと思っても、なかなか美味しく作るのは難しいのです。理由は主に粉にあります。製粉してすぐピッツァを作ると香りがとても良く、ナポリのピッツァはその場で製粉しているからとても美味しいんですよね。イタリアから粉を輸入するとなると、製粉して時間がかなり経過しているためどうしても味が落ちてしまうのです。

イタリアで料理をする際、1km以内の食材を使いましょうという意味で「0km」という考え方があります。例えば、イタリア北西部にピエモンテという州があるのですが、そこの料理は「バローロ」という赤ワインで食材を煮込みます。バローロは、ワインの王様とまで称される美酒で、ピエモンテ州で造られています。日本では1本1、2万円もするワインを惜しみなく料理に使う。とても真似することはできませんが、これで料理が美味しくなるのは当たり前ですよね。

日本では、旬に合わせて食材の仕入れ先を変えるというレストランが多いのですが、あるイタリア人の知人が「食材の仕入れ先を変える件について」面白いことを言っていました。彼はメニューを変えればいいだけだと言うのです。

「季節が変われば他の食材が旬になるじゃないか。だったらその旬の食材を使えばいいだけ。季節が変わるからメニューが変わるのだ」。私はなるほど、と思いました。イタリアは流通が悪いため、日本のように仕入れ先を変えることができません。どちらが良い悪いという問題ではなく、根本的に料理に対する考え方が違うのだと感じたエピソードです。


——
ピッツァもダニエラ氏から教わったのですか?

ダニエラはピッツァを作らない人でした。そもそも、イタリアでは、イタリア料理を出すお店とピザ屋が分れているのです。日本でいうところの蕎麦屋が分れているのと同じような感じです。

私のピッツァは、東京・上野にあるピザ屋「da GIORGIO」というお店の人に教えてもらいました。そこの人がナポリで修行した方で、日本に戻ってピザ屋をやっていたんですね。そのお店のピッツァは、ナポリで食べるピッツァと全く同じでした。本当に美味しくてびっくりしましたね。

そしてしばらくは教えてもらったピッツァをお店で提供していたのですが、19年にちょっとしたヒントで更に美味しくなりました。イタリア人シェフのスピーノさんという有名な方がよくお店にいらしていて、いろいろアドバイスをいただきました。スピーノさんは珍しい方で、料理とピッツァの両方を作る方でした。彼はとても伝統的でもあるのですが、それと同時にその伝統は本当に正しいのかを一つひとつ科学的に検証する人でした。ちょっとしたことで、全く違う味になる。本当に驚きましたね。彼のちょっとしたアイデアでピッツァがとても美味しくなりました。それ以降は、スピーノさんに教わった調理法でピッツァを作っています。

これまでいろんな料理人に出会ってきましたが、ダニエレとスピーノさんは特別料理が上手でした。二人ともお互いに面識はないのですが、料理に対する姿勢や言うことはよく似ていましたね。


ピッツァ・マリナーラ。トマト、ニンニク、オリーブオイル、バジリコ、オレガノだけをのせて焼く、シンプルなピッツァで、ナポリ産トマトの強い酸味が鮮烈に記憶に残る


——今後の目標を教えてください。

私は日本人ですので、できれば日本の良いところを料理に取り入れていきたいと考えています。あと、最近は少しずつですが、「おまかせ」スタイルが増えてきましたので、もっと力を入れていきたいと考えています。

美味しい料理を食べるには、キッチンやレストラン側の努力が90%、あとの10%は食べる人、つまりお客様の努力だと考えています。家庭料理は美味しいですよね、あれは食べる時間に合わせて料理を作るからなのです。

具体的に説明をすると、お客様の努力とは、「何時から何名で、大体こんな料理を食べたい」と事前に言ってくれることなのです。事前に要望を聞くことができれば、お客様が来られる時間に合わせて朝から仕込みができますからね。

例えば、魚を締める際も、締めた直後はとても身が硬いので、一定時間寝かして調理をします。前仕込みは料理の一部ですので、とても大事なことなのです。お客様には、より美味しく、常に最高の状態で料理を食べて欲しい、そう思っています。


——最後にお店について紹介をお願いします。

22年3月、高徳置地夏広場4階に移転して「FRANCESCO YABE」をオープンしました。ここでは、店内に加えてテラス席や屋上でも料理を楽しんでいただくことができます。開放感あふれる屋上のテラスからは珠江新城の景色も堪能できます。夜風に吹かれながらビールを飲むのも最高です。ぜひ一度いらしてください。






ナポリピザ協会認定シェフ店、フィレンツェ料理人協会会員店の「FRANCESCO YABE」
開放感あふれる屋上のテラスからは珠江新城の景色が広がる


(DATA)
FRANCESCO YABE
場所:広州市天河区珠江東路11号高德置地秋広場F座1階101舗
(2024年より高德置地夏広場から移転しました)
TEL:
135-3179-6575(日・英)、020-8559-9986(日・中)
11:00~24:00



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