広州人物図鑑
- 藤田圭亮 ——道場から人に希望を与える人を輩出したい
極真空手広州侍魂道場の代表として活躍する藤田圭亮さん。しかし広州に来た当初の目的は「ラーメン市場調査」。その後、日本でパン関係の仕事に携わっていたことからパートナーと共にベーカリー「藤王」をオープンすることになりました。広州に訪れ、飲食の世界へ歩みを進めていた藤田圭亮さんが、どのようにして極真空手広州侍魂道場の代表の道へと進むことになったのかをお伺いしました。
——極真空手を始めたのはいつからですか?
私が極真空手を始めたのは大学を卒業し、パン、洋菓子の製造・販売に携わる「神戸屋」へ入社して2年目の24歳の時です。学生時代はサッカーをしていたので、社会人になった時は「個人競技をやりたい」と思い、運動不足解消のため、極真空手を始めました。極真空手を始めた時はK1ブームで、アンディ・フグ選手などが活躍していた時代。「せっかく空手をするのだから、しっかり稽古して彼らのように強くなろう」と一念発起し、始めは2週間に1回のペースで稽古に行き、仕事に慣れ始めたら週1回、そして最終的には週5~6回のペースで稽古に行き「半分プロの生活」へとシフトチェンジしました。
仕事と稽古の両立は難しかったですが、若さと負けん気が強い性格のおかげで、極真空手を初めて2年半で黒帯を取得。その後は関西や関東地区の県大会で優勝し、全日本選手権大会に5年連続で出場することができました。ただ32歳の時、「もうやりつくした」と同時に体力の限界を感じ、空手とパンの世界から退き、別の道へ進むことを決意しました。
——空手とパンの世界から退いた後、どのような道へ進むことにしたのですか?
空手とパンの世界から身を引いた後は、ラーメンの世界へ進むことにしました。そのために1年間ほどラーメン店を食べ歩き、「美味しいラーメンに必要なものは何か?」を研究。そして1年後の33歳、辛さとシビれのパイオニア「鬼金棒」で修業します。
鬼金棒での修業の日々は厳しくもありましたが、とても充実した時間を過ごすことができました。「必ず美味しいラーメンを作るのだ」と思い、日々努力したおかげで、未経験から半年で副店長、1年経った時には店長へと就任。最終的には池袋で鬼金棒オーナーと共同で新規のラーメン店を立ち上げることになり、ラーメンの世界で一定の成果を収めることができたのです。
——ラーメンの世界で成果を収めたにも関わらず、なぜ広州へ行こうと思ったのですか?
私の悪い癖で「ある程度の成果を収めたら、新たなる道を切り拓きたい」という気持ちが心の中に芽生えてくるのです(笑)。ですので、池袋で新店舗をオープンさせ「自分が携わらなくても大丈夫かな」と思った時、新たな道を探し始めたいと考えていました。そのような気持ちでいた2015年、藤王のパートナーとなる王さんより「中国のラーメン市場を調査してもらえないか?」と声をかけてもらい、広州へ行くチャンスが訪れたのです。ただ当時の私は中国への印象が悪く「飛行機代は王さんが負担してくれるし、旅行気分で行ってみて、嫌ならすぐ帰ろう」と軽い気持ちで行きました。ところが広州で過ごしていると、日本で発信されている情報と実際の中国の実情が違うことを知ります。人は優しく、仲間に対しては礼儀、節度があり、天候も良く、生活しやすくて「中国でビジネスすることもありだな」と感じ、新たな挑戦の場を広州に設定することにしました。そしてラーメン市場を調査し、その後、神戸屋で培ってきた経験と技術を活かし、パン屋をオープン。パン屋のビジネスが軌道に乗り始めると、上海へ異動し、別の飲食のビジネスをサポートすることになりました。
——広州に来た目的は「中国飲食ビジネスの開拓」であったのに、現在どうして「極真空手の指導」というほぼ真逆の世界に踏み込むことにしたのですか?
私も広州でビジネスを始めた当初は極真空手広州侍魂道場の代表になることなど、微塵も考えていませんでした。ただ中国へ来て3年が経った2018年、サポートしてきた飲食ビジネスも軌道に乗り、私の手から離れ始めます。その頃、広州で極真空手を教えていた日本人の先生が別の場所に異動し、残った10人ほどの生徒が稽古をできない状況になり、生徒の保護者より「子どもたちの先生となって、極真空手を教えてくれないか?」と依頼されました。当時、中国での「飲食ビジネスの開拓」はとても面白かったですが、私の心の中に何かしらわからないモヤモヤがありました。そして極真空手指導の話をいただいた時、それが「飲食ビジネスでは直接、人の成長を促すことを行うのは難しい。だが極真空手の指導ならそれができる。私の本当にしたかったことは後者だ」と悟り「極真空手を教えることで、生徒たちを心身ともに成長させ、自分自身でだけでなく、困っている人も救える力を身につけさせたい」と決意。広州で極真空手を指導することにしました。
極真空手の話をいただいてすぐ、上海でのビジネス関係者に説明し、広州へ戻って、道場開設を準備。「これで生活していくことはできるのか?」という不安はありながらも「自分にしかできないことをしたい」と気持ちを奮い立たせて、新たな路へ歩みを進め始めました。
——現在、極真空手広州侍魂道場の状況はいかがでしょうか?
おかげさまで、現在では広州だけでなく、深センや東莞にも道場を開設しており、生徒数も200人(日本人4割、日中ハーフ3割、中国人、外国人3割)となりました。ただ、コロナ禍中は生徒数がゼロとなり、一旦道場を閉鎖せざるをえない状況へと追い込まれます。当時は「これからどうなるだろう?」という不安しかありませんでしたが、日本在住の時に培ったパンとラーメンの経験と技術でコンサルティングなどの仕事をして生活を維持し、道場再開を目指していました。
すると、コロナの脅威がまだ収まらない2021年、知人より「運動不足解消のため、空手を教えてくれないか?」という依頼がきたのです。「生徒はたった2人」という現状でしたが「このような状況だからこそ、人のために行動しよう」と思い、利益度外視でヨガルームを借り、道場を再開することにしました。この時に間借りしたビルの名前が「未來社」。「今後の未来に希望を感じる」という理由でここにしました。またこの時から、日本人だけでなく中国人や外国人の生徒も募集し、子どもだけでなく、大人も極真空手を学べるようにと方針を変更。多くの人々の支持を集めることができ、道場経営も安定し始め、今では夏や冬に合宿を行い、日航ホテルなどで内部試合を行えるほどに規模が大きくなっています。
「どのような時でも諦めないことが大切」と学んだコロナ禍。諦めない心を身に付けるには「強い精神力」が必要であり、それは極真空手を学ぶことで身に付けることができたのだと再確認し、そのことを生徒たちにも伝えていきたいと思っています。将来の夢は数年後、今の道場をサポートしてくれているコーチ達が先生となり、自分の生徒を持てるほどに成長した時に酒を酌み交わしながら、昔話に華を咲かせることです(笑)