広州人物図鑑

・岡沢成俊 ——日本語を教えることで、学生に他国の文化を理解する機会をあたえたい




 日本の大学院で日本語の文法を研究。その後、瀋陽、上海、広州で日本語教師として教鞭を振るっている岡沢さん。中国歴20年、広州歴16年と人生の半分を中国で過ごしている岡沢さんにこれまでの中国生活を振り返っていただきました。

初めて中国で働いたのはいつになりますか?

 私が中国に来たのは2003年。初めて教鞭を振るった都市は遼寧省・瀋陽です。当時、中国の多くの大学では、日本人の日本語教師を募集しており、日本の大学で日本語の教員免許を取得していたこともあって、日本語教師になることはあまり難しいものではありませんでした。ただ中国語は全く話せなく、初めての海外生活ということもあり、最初は戸惑いもありましたが、カルフールやウォルマートなどの外資系スーパーがあって生活するのに困ることはなく、言葉が通じないのは持ち前の切り替えの早さですぐに順応したこともあったので、仕事、プライベートともに充実したものとなりました。特に食事は美味しくて、大学の食堂にあった「玉子チャーハン」に激ハマり。毎日食べ過ぎたせいもあって、半年で10㌔も太りましたね。

 また生徒に日本語と触れ合う機会を増やすため、自分の部屋にマンガ棚を設置。自由に閲覧できるようにしていました。当時はらんま1/2や名探偵コナンの人気が高く、多くの生徒がやって来て、色々な話をしました。

上海での教師生活の想い出を教えて下さい

 瀋陽で教師となって3年。突然、大学より「来季は契約を結ばない」と言われ、上海にある上海対外貿易大学へ異動することになりました。上海では住居とキャンパスの距離が遠く、通勤にバスで40分以上かかるため、当時は生徒たちと交流する時間はほぼなくなり、すこし残念な教師生活を送っていました。ただ国際都市・上海というだけあって、大好きなクラシックコンサートが多く開催されていて、暇を見つけてはプロの演奏を聴きに行けたのはとても良かった点です。

 生活する上で上海はとても便利でしたが、大きな問題が発生。それは通勤で乗るバスにすぐ酔ってしまうということで、正直、授業に身が入っていませんでした。そのような状態でしたので「住居とキャンパスが近い大学で仕事をしたい」と思うようになり、1年で上海対外貿易大学を辞め、現在勤めている広東外語外貿大学に異動することを決めました。

瀋陽、上海と比べ広州は生活しやすかったですか?
 
 暑いのが苦手な私にとって広州は決して住みやすい環境ではありませんでしたね。来た頃は教室にエアコンが完備されておらず、暑さに順応できていなかったので、マイ扇風機を持ってきて、暑さ対策を行い、乗り切っていました。最近、ようやく各教室にエアコンが設置されたので、マイ扇風機を持っていかなくてよくなったのがうれしいです。

 ただ緑が多く、空気の良いのはいいですね。上海と比べ、のびのびと過ごせるのが広州の特長かもしれません。また広東語をしゃべる人が多く「何を言っているかわからない」という場面が多いのもご愛敬ですね。

広州で仕事をする中で苦労したことはありますか?

 瀋陽や上海には各大学の日本人教師が集まる日本人教師会があり、情報交換や勉強会などができたのですが、広州ではそのような集まりがなく、仕事の悩みや相談をする人とコミュニケーションが取れず、困りました。ですので、自分で日本人教師会を創設するべく動いたのですが、その過程は思っている以上に大変でしたね。

 例えば、広州で教鞭を振るう日本人教師との連絡。どの大学に日本語科があるのかは入試情報を調べればわかったのですが、そこで働く日本人教師の名前が分からないため、最初のころは「〇〇大学日本語科日本人外教様」という怪しげな手紙を各大学に送り、日本人教師と連絡を取ろうとしてクレームを受けていました。また日本人教師と連絡が取れ、教師会が開催できるようになったのですが、会場が外部の人が入りづらい外大の教室しか見つからず、スムーズに会の運営ができなかったのも今では笑い話になっています。

 様々な困難はあったものの、めげずに活動し、募集し続けた結果、現在では定期的に日本人教師会を開催できるようになりました。また微信などの連絡ツールの発展により、参加者が日々気軽に話せるようになって、昔よりコミュニケーションがスムーズになったのはうれしいことです。

授業の様子

授業の様子

中国人学生の印象はどのようなものですか?

 中国人の学生は素直でマジメですね。前向きな学生が多く、日本語を楽しく学んでいます。ただ日本のアニメや漫画の人気は高いものの、昔と比べ、日本語の人気は低くなっていて、年々日本語学科の学生は少なくなってきているのが心配です。今は「日系企業に入社するため日本語を学ぶ」というのではなく「大学受験でいい成績を収めるため、英語よりテスト内容が簡単な日本語を学ぶ」という目的で日本語を学ぶ人が多くなってきています。

現在の広州生活の楽しみは何ですか?

 現在私には小学校3年生と年長の子どもがいて、現在、子どもと中国人の妻と過ごす日々がとても楽しいです。子育ては妻の両親も手伝ってくれるので大変助かっています。また時おり実感できる日本式の育児と中国式育児の習慣の違いはとても新鮮で大変勉強になります。同じアジア人でも「住む環境が変われば考え方がこれほど変わるのか」と認識できるのは、日本人教師であり、日本人夫でもある私のささやかな特権ですね。これからも日中の違いを楽しみつつ、日本語教育を通じて、中国の人々に日本の文化や考え方を伝えていきたいと思います。

子どもたちと一緒にパシャリ


[広州日本商工会][広州人物図鑑]