広州人物図鑑
- 夢を叶えるために
「あの時、僕の体重は52キロだったんですよ。今はたぶん70かなぁ~」彼が笑いながらそう言った。山本多加夫さん、1982年生まれ、札幌出身。現在は広州で居酒屋――「道」を経営されていてすでに5年。今年は広州生活8年目。いつか自分の店を開くと考えていた彼は広州で夢を実現した。日本から広州までの経緯や広州生活などについて語ってもらった。
- 料理人を目指すきっかけは何ですか。
僕がまだ小学生の時、料理人がよくメディアに出る時代だったのです。「テレビチャンピオン」とか、「料理の鉄人」とか。テレビで優勝した大将がかっこいいと思っていて、伊勢海老をおろすことをまねしてみたら意外にも簡単だったので、もっとやってみたいなと。テレビの影響があって、自分も好きなので、それがきっかけです。
- 料理のお勉強はどこでされたのですか。
最初は京都からスタートしました。皿洗いをし始め、刺身などをやらせてもらうまで、料理の勉強だけでなく、人間関係なども色々経験させていただきました。うまく行っていない時もあったのですが、そのおかげで成長し、京都で四年ほどの修業経験は一番生きていると思います。その後、父親の知り合いが熊本で店を開いたので、そこでチャレンジしてみたくて、京都の仕事をやめて熊本に行きました。最初は給料なしで、住まいだけ提供してもらって、三ヵ月だけ働くという形で入ったのです。「もう少しやってくれないか」と言われたので、給料をもらってそこで一年働きました。その間、師匠が寿司に関する仕事を全部教えてくれました。熊本はとても面白い町で、勉強にいい場所でした。
- なぜ中国に来られたのですか。
小さい頃から中国と縁があります。僕は一人っ子なんですが、父は中国人留学生の里親をしていたので、10歳の時に24歳の兄ができました。兄は上海人で、アパレルの勉強に日本へ来てうちでホームステイしていました。初めて中国に行ったのは11歳の時で、兄との中国旅行でした。兄は日本で約三年間滞在していまして、上海に戻った後アパレルの工場をつくりました。その後も兄に色々教えてもらいました。僕は最初、有名な料理人になろうと思っていたのですが、やりながら自分がその世界に合わないことに気づきました。商売をしている父の影響で、どちらかというとお店の経営が自分のやりたいことなのだと気づきました。いつか自分の店を開こうと。日本でどうやって商売するか考えていた時、中国の兄に「中国でやってみないか?」と言われ、中国でのほうがチャンスがあるように思いました。今ここにいるのは彼の影響が一番大きかったと思います。
- いつ広州に来られたのですか。
2006年にはもう「中国に行く」と決めましたが、実際来たのは2008年でした。まずは上海の日本料理店で働いて、中国での店の経営について見聞を広げてから、2011年に市場の見込みがある広州に来ました。中国に行く前の二年間、僕は何かをしていたかというと、実は熊本の後、東京に行ってフリーターをしていました。中国で料理屋を経営するために大量消費型の「場」を経験して、勉強したかったのです。使える技術をできるだけ掴もうと思って、自衛隊の給食、居酒屋、高級仕出し弁当など、いろんなジャンルをやってみました。朝3時から自衛隊の給食を作り始めて午後1時まで、続いて居酒屋の仕込に入って、そこで深夜の2時まで。仕事が終わっても家に帰らず、そのまま漫画喫茶に行って1時間ぐらいの仮眠を取ってまた仕事に戻ります。その時僕の体重は52キロしかなかったですよ。若いからできましたが、今は絶対無理です(笑)。
- 広州に来て一番大変だったことは何ですか。
営業許可書の取得は一番大変でした。まずはガスが使える物件探しです。僕が来た2011年の時、ガスが使える物件はあまりなかったので、それを探してまるまる一年掛かりました。また、ビザを得るために、会社を興して、自分の会社と契約を結んで、営業許可書を取ってからまた色んな苦労をして、ようやく発票が出せるようになりました。ここは小さい居酒屋ですが、日系企業と同じ、「有限公司」です。
- 広州生活で一番印象深いことは何ですか。
日本人同士の絆が深いということだと思います。皆さんは仲がいいんです。うちは2013年の5月18日に開店したので、毎月の18日は開店記念日です。祝うためその日に常連さんの集まりがあります。皆さんがお酒を飲んだり、話し合ったりして、とても和やかです。新規のお客さんも気軽に入れます。こうして皆がだんだん仲良くなって繋がっていくのは素晴らしいと思います。
- 今は中国で店を開くという夢を実現しましたよね。今後は何をされたいですか。
今後したいことは…若手の教育ですね。若い子に本格的な日本料理を教えて、たとえ僕が店にいなくても、彼らも美味しい日本料理が作れるように頑張りたいです。自分達の扱う食材が持つ味を最大限に活かすための一手間、例えば素材を熟成させる方法など。細かいことですが大切な一手間をかけるよう教えているところです。また、今後日本に行って本物の日本料理を食べたことのある中国人がさらに増えると思いますので、そういう人達に日本の味を提供したいとも思います。あとはまだ本格的な日本料理店がない地方都市に店を出したいです。日本人だけでなく、中国人のお客さんももっと来てもらいたく、日本料理の美味しさを分かってくれれば嬉しいです。